東欧ルーマニアのシビウ市。ほとんどの日本人はその名さえ聞いたこともなく、地図上の位置も思い浮かばないだろう。ルーマニアのほぼ中央に位置するこの町では、スコットランドのエディンバラ国際フェスティバル、フランスのアヴィニョン演劇祭に次ぐ、ヨーロッパ第三の規模の国際演劇祭が開かれている。

ルーマニアでは1989年の革命で共産党独裁政権が倒れるまで、言論の自由が奪われていた。国民にとって芸術活動は、社会に対する怒りや悲しみ、喜びを表現できる数少ない手段のひとつだった。革命5年後の1994年から毎年開催されているシビウ国際演劇祭は近年、世界70カ国から350団体が参加する規模となっている。

去る5月26日、その第19回シビウ国際演劇祭に舞踏団「友惠しづねと白桃房」所属の舞踏家、加賀谷早苗が招聘され、ソロ舞踏を披露した。日本人の女流舞踏家が同演劇祭に出演したのは初めて。演目は「寒山 蓮遥抄より」(振付・演出・作曲 友惠しづね)。中国・唐代の伝説的な風狂の僧、寒山の名を冠したこの作品と、舞踏というアートについて、同舞踏団作成のリーフレットにはこうある。

「日本文化の自然観、世界観から生まれた現代舞台アート・舞踏。その身体表現の基本は『不二』という思想に基づきます。『不二』とは二つであって二つでないというロジカルな意味では矛盾した哲学に依ります。自然と人間、心とからだ、彼岸と此岸、生と死は互いに対象化して捉えるものではなく、時に一つのものとして捉えられます。今回の作品では出演者の加賀谷早苗は路傍に佇む仏と鬼の子供を踊ります。日本では仏も鬼も人間の一つの命のあり方を表すと同時に、自然や社会の事象を象徴するものでもあります」(後略)

仏も鬼も人間の命のあり方――。

寒山は天台山の寺の僧侶とされるが、天台宗には「十界互具」の思想がある。幸福の科学はこの思想をこう解釈している。

「十界互具とは、天上界の最も上の心境から地獄界の最下層の心境までを十通りに分けて、『その十通りの心境を、上は仏から、下は真っ逆様に地獄に堕ちた人まで、全員が備えている。誰もが、心の中に、そういう機能自体を持っている。しかし、もともと持っている機能が、どういう表れ方をするかは、人によって違ってくる』という考え方です。(中略)『心のあり方を、どのように調整していくか。心の針を、主として、どの方向に向けているか。これによって人間は違ってくるのだ』ということです」(大川隆法著『復活の法』)

約50分間のこの作品をソロで演じた加賀谷は語る。

「前半の寒山が顔につけている鏡は、人間の内と外は分かれているものではなく不二であることの象徴です。後半は、空から降りてきた鬼の子供が迷妄する世界を彷徨しているイメージです」。

ある海外メディアは、この舞踏をこう評した。「死と生の境目に無底の淵を見出す我々ヨーロッパ人と違い、日本人はそこに宿る『不二』という概念を見つめる。加賀谷はまさに『不二』という概念を体現化している」

現代アートの世界では、神仏の境地を指向する人間の肯定的側面より、迷妄や苦悩などの地獄的心境を指向する作品も少なくない。それもあって本誌で紹介する機会は少なかったが、仏教思想に通じる「不二」がテーマの本作がヨーロッパで注目されたことを機会に、舞踏の世界を抜粋動画で読者にご紹介する。言葉を超えた身体表現による、心の世界への誘いの一つとして、覗いてみてはいかが。

「蓮遥抄」を特典映像収録したDVD「眠りへの風景」ほか、同舞踏団に関する情報は

http://www.tomoe.com

KANZAN from Renyo-sho(蓮遥抄) -Far from the Lotus-(06:45)