「2011年のアラブ革命」( Arab Revolution of 2011)――。1日付けインターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙に出ている「アラブはいかにして恥を自由に転換したか」と題する論説で、米ジョンズ・ホプキンス大学のFouad Ajami教授(国際関係論)は、チュニジアに始まる今回のアラブ諸国の政変をそう呼んでいる。以下要約。

・アラブ諸国で独裁政権が崩れつつあるが、これらの国では独裁政権だけでなく国民の側にも非難されるべき点があった。国民の多くは何十年も独裁政権の与える餌に食らいついてきた。1978年にシーア派の指導者がリビア滞在中に行方不明になった事件でも真相は追及されず、カダフィ大佐は金をばらまき、ジャーナリストはカダフィを称える記事を書いた。アラブの卑屈な知識人たちがカダフィを甘やかしてきたのだ。

・1980年代以降のアラブ国家は恐怖が支配する社会であり、独裁者たちは勝手気ままに人を殺してきた。平均的な男女は私生活に引きこもり、国は「恐怖」(Fear)の力だけでまとまっていた。独裁者は家族ぐるみで「王朝」を形成し、傍若無人に振る舞った。古きよきアラブの伝統である恥(Shame)の感覚が消えてしまった。

・このアラブ革命は1848年革命と似ており、当時のイタリアの政治家が自由(liberty)について書いた次の言葉が思い出される。「自由を与えられるのは美しい荒馬を与えられるようなものだ。乗りこなしたいと思う者もいるが、大部分の人間は逆に、馬に乗るより歩くほうがいいと願うようになる」。恐怖の中を歩いてきたアラブ人は今や自由を乗りこなそう(take freedom’s ride)としているが、自由に伴うリスクのことは考えていないようだ。

恐怖や罪の意識に別れを告げ、自由を乗りこなそうとしているアラブ人たち。彼らに一番必要なのは、自由というエネルギーに正しい方向性を与える新たな価値観や智慧ではないか。アラブの同胞たちが真の自由を行使することができるよう、歴史的・世界的視野から彼らの動きを見守り、支援していきたいと願わずにいられない。(司)

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