生活保護を受けながら、勤労意欲があると認められる人に資格を得るための技能習得費を与えたものの、そのうち36%の約1億2千万円が無駄になっていることが、会計検査院の調査で分かった。16日付読売新聞が1面トップで報じている。

同紙によると、「過去最多を更新し続ける生活保護受給者の増加を食い止めるためには就労支援が欠かせず」、各自治体が働く意思のある生活保護受給者に就労支援として、技能習得費を与えている。

しかし、会計検査院の調べによると、2009~10年度に23都道府県で支給された約36%の4950件、計約1億2千万円が、就労に結びついていなかったという。その中身として次のようなケースを挙げている。

  • 約半数は、授業や研修を受けるのを途中でやめている。
  • 分割で納める授業料を最初だけ支払い、大半を使い込んだケースも。
  • 資格は取ったものの就職していなかったケースも約3割。
  • 就職活動を十分行わず、繰り返し技能習得費を申請するケースも目立つ。

なぜ就労支援をするかについて、厚生労働省は、働けるにもかかわらず職のない現役世代の受給者が約30万人もいることへの危機感があるからだ、としている。

だが、その発想のスタート点が間違っている。そもそも国民の血税を使って、「働けるのに働かない30万人」に生活保護を与えたこと自体が誤りなのだ。

働けるのに「働き口がない」と言って生活保護をもらおうとする人は、「苦労して働くより、遊んで暮らしてもお金がもらえるなら、生活保護をもらったほうが楽だ」と考える。そのような人々を、「働けるように資格を取る費用をあげます」と助けたところで、働く気がないから途中で投げ出したり、自分のポケットに入れたりするのだ。

また、社会保障の充実の名のもとに行政は無駄な仕事と人員を増やし続けている。これでは、いくら増税したところで無駄に使われるだけだ。ここに社会保障の落とし穴がある。

さらに言えば、「働かざる者食うべからず」や「他人の税金で遊んで暮らすのは恥だ」という、人としての基本を学校教育でもきちんと教えてこなかったことが、根本的な原因だろう。現代日本の唯物論教育では、「この世の数十年の一回限りの人生だから、自分の好きなように生きる方が得だ」という結論に行き着く。その結果が、他人の血税にたかっても恥じない人間を大量に生み出した。

人としての基本を教えるのが宗教教育である。「この世は修行の場であり、この世で勉強したことや働いて得た智恵は、すべて無駄にならない」「自分を育ててくれた前の世代への恩返しとして、後世の人々のために仕事をしていくことが、人間としての義務である」ということを心と体で身に着けていく。

このような宗教教育を排除してきたことこそ、戦後日本人の大きな「忘れ物」だ。最大の社会保障とは、エゴイスティックな人間ではなく、世のため人のために働きたいと考える国民を増やすことだと知るべきだろう。(仁)

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