2011年7月号記事

慶應義塾大学教授・弁護士 小林節インタビュー
(こばやし・せつ) 1949年東京都生まれ。1977年、慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程修了。ハーバード大学ロー・スクール客員研究員等を経て、89年慶大教授に就任。著書に『そろそろ憲法を変えてみようか』(致知出版社、共著)、『憲法守って国滅ぶ』(ベストセラーズ)など多数。

国家には、国際社会において自国民の生命と財産と名誉を守る権利と義務があります。その意味で、憲法第9条1項の「戦争を放棄する」というのはまったくナンセンスです。

「日本が放棄すると決めれば戦争はなくなる」という主張は単なる空理空論にすぎません。日本だけが一方的に戦力を放棄したところで、日本が再び加害国にならない保証にはなっても、それによって日本が被害を受けないという保証にはなりません。

それで本当に戦争を放棄できるなら、90年の湾岸戦争でも、イラクが侵攻してきたときにクウェートが「戦争を放棄する」と言えば戦争は終わったはずです。しかし、攻める戦争は放棄できても、攻められる戦争は放棄できないのです。

日本は戦後教育で「憲法9条のおかげで平和だった」と叩き込まれてきましたが、本当は9条違反の自衛隊と在日米軍のおかげでどの国も攻め込んでこなかったのです。つまり、9条は外国が日本を武力で守ってくれているという前提があってはじめて成り立っているのです。

だから、9条を改正して、自衛権・自衛軍の保持を明記して正式に認めるべきです。

護憲派の中には、再軍備によって日本が再び侵略戦争への道を歩むことになると考える人もいます。しかし、軍隊の統帥権が独立していた明治憲法体制下とは異なり、現憲法下では、軍隊に対する文民統制が確立しているため、私たち国民自身が他国に対する侵略の意思を示さないかぎり、「いつか来た道」は起こり得ません。

条文解釈は立法趣旨の制約を受けるべき

ただ、日本人は改憲を心理的に避ける傾向があります。特に9条は異常にタブー視されています。

そこに、4カ月ほど前に、教え子の一人が訪ねてきて、幸福の科学の大川隆法総裁が提案している一見ユニークな憲法9条論を説明してくれました。

それは、日本国憲法は、前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」、9条で「戦争の放棄」と「戦力の不保持」を定めており、理想・基本方針としてはこれらを否定しないが、現実に「公正と信義に信頼」できない諸国に対しては9条を機械的に適用できないと考えるべきだというものです。

憲法は前文が憲法全体の性格を決めます。前文では、国民主権、平和主義、人権の尊重の三大原理が定められているので、条文の解釈はこの立法趣旨の制約を受けるものであり、この趣旨に反した解釈はできません。

また、前文で言う「平和主義」は、平和に幸福に生きようということが目的であって、無抵抗のまま他の国に侵略されて奴隷になって生きようという「敗北主義」ではありません。

だから9条についても、前文で述べる「公正と信義に信頼」できる国に対しては決して戦争に訴えないが、昨今の中国・北朝鮮のように、信頼できない軍国主義国家に対しては、屈せず、自衛権を行使すると宣明するべきです。それによって日本の独立と各人の人権の尊重を保持することは、憲法の立法趣旨に矛盾しないと考えられます。

憲法に照らして考え直す

私は改憲論者として知られていますが、実は、日本国憲法を無効化して明治憲法に戻ろうという改憲派とは違って、自由で民主的な日本国憲法は素晴らしいと思っています。それをさらによくするために憲法を改正するべきだという考えです。そうした憲法の基本理念は守るという立場から考えると、以下のものは憲法違反の疑いがあると思います。

まずは、改正貸金業法です。この新法により、消費者金融の年金利が、もともと世界的にも低い29・2%からさらに20%に強制的に下げられました。その結果、貸金業者の多くが採算割れになり、自動的に転廃業に追い込まれています。これは、彼らの職業選択の自由(第22条)、財産権(第29条)、生存権(第25条)が侵害されていると言っていいでしょう。

また、「一票の格差」はすでに最高裁判所が違憲判決を下しています。自由と民主主義の社会では、すべての人が神の子であり、それゆえに個人は尊く、法の下に平等(第14条、第44条)なのです。偶然どこに居住しているかということによって、等しく尊い人間の間に政治的発言力の差ができれば、同条に反します。

裁判員制度も、第37条1項の「公平な裁判」に反します。同条項では公権力に疑われたときはフェアな裁判を受ける権利があると定められていますが、裁判という高度なプロの世界に素人である裁判員が決定者として参加するのは、裁かれる側にとって公平ではないでしょう。

これらの法律や制度も、日本国憲法に照らして改めて考え直してみるべきでしょう。