中華料理を食しながらオリンピック開会式を見る(編集長ブログ番外編~留守番ブログ~)
デスクに一枚のペーパー。
「北京オリンピック開催を祝い、開幕式を一緒に観覧する晩餐会ご招待」のご案内。
主催は、リバティ編集部の目と鼻の先にある、中国系企業だ。
編集長、出張につき、代理で参加すべしとのメモ書き付き。
案内状をよく見れば、二胡の名手・陳敏さんの演奏と共に、
先の芥川賞を中国人で初めて受賞した
在日中国人作家・楊逸さんのスピーチがあるではないか。
これはこれはと、北京語を駆使する同僚Iと共に、
意気揚々と会場のある西新宿に向かう。
今回、お招きいただいたR社長ご夫妻に丁重に御礼、
ごあいさつ申しあげ、
その勢いで楊さんをさがす。
「リバティ」と『釈迦的本心』を渡しながら、
「いずれ『リバティ』にも原稿を」とアピール。
開始時間になっても、一向に始まらず、来場者があちこちで名刺交換や記念撮影。
どうやらこの催しは、華人社会での人脈拡大も意図しているようだ。
「高級店の中華は久しぶりだな」と思いつつ、広東料理を恭しくいただく。合掌。
そして、いよいよ大きなスクリーンが用意され、開会式が映し出される。
そこからは、もうみんな画面にくぎづけだ。
多くの人がびっくりしたように、私も大画面に映し出される演出にびっくりした。
何よりも、この日を待ちかねていた華人社会の喜びは、すごかった。
花火が上がると拍手喝采。すごい演出が起きるたびに拍手喝采。
拍手拍手拍手。その拍手はストレートに誇らしげだ。
中国餃子事件にしてもチベット自治区の暴動にしても、
中国側の対応には、いつも覚える違和感。
情報の隠匿や国民不在の政治感覚、共産主義国家からすれば当たり前の論理が、
自由主義社会の視点から見れば、やはり未成熟に見えてしまうのだ。
楊逸さんの受賞作『時が滲む朝』にも、
民主化という意味が理解できない時代の民主化運動への庶民の困惑と
自由というものを知ってしまった人間のもう統制社会には戻れない気持ちなどが
随所に感じられ、共感する。
口には出さないものの、国外というものを知ってしまった人間には当然、
この大国の課題がわかっているはずではないだろうかと思って周囲を見渡す。
だからこそ、今回の開会式は、
自国の論理を超えた姿を世界にアピールする最高の機会だったのではないか。
そして、中国はとりあえず世界中の人々に感動を与えた、と思う。
周囲の異様な興奮を感じながら、彼らが、このオリンピックにどれほど夢を描いてきたか。
考えただけでも、胸が熱くなった。
日本もまた、そうだったのだ。
さあ、このオリンピックが中国民主化のターニングポイントになるかどうか。
翌日、帰京した編集長に報告すると、仕事で開会式を見ていないと悔しそうに言いながら、
「オリンピックを開催して、もった独裁国家はないんだよね」と、
中国民主化に期待を寄せる。



