産経新聞は26日、「国民の憲法」要綱を発表した。「独立自存」の姿勢を明確にし、「軍の保持」を明記するなど毅然とした国づくりを求めており、評価できる点は多い。だが一方で、「立憲君主国」を前面に出して天皇に政治責任を負わせる危険性や、宗教が政治にかかわることを排除している点は問題である。

同紙によると、同要綱は創刊80周年と「正論」40周年の記念行事として、昨年3月から作成。全12章、117条で構成されている。

前文では、「日本国は自由主義、民主主義に立脚して、基本的人権を尊重し……国家の目標として独立自存の道義国家を目指す。」とうたい、「国の独立と安全を守り、国民を保護するとともに、国際平和に寄与するため、軍を保持する。」(第一六条)などとし、戦争の放棄や交戦権の否定によって他国の占領を呼び込む現行の憲法九条の考えを取り去った。中国や北朝鮮という隣国の脅威が迫る中、極めて正常な感覚と言えよう。

また、「地方自治体は、第一三条(国家主権、国および国民の責務)を踏まえ、国の統一性の保持に努め、国と協力しなければならない。」(第一〇七条)として、地方自治体が中央政府と同等の力を持つような「地方主権」を否定した点などは評価できる。

だが、問題もある。

「天皇は、日本国の元首であり、国を代表する。」(第二条)という部分。現行憲法同様、天皇を元首とし、その尊さを強調しているが、これは逆に天皇に多くの政治的な責任を負わせる危険性がある。天皇が元首であれば、今後、日本が戦争で負けるようなことがあれば、その責任を取らざるを得なくなる。もちろん、極刑という可能性もあるだろう。125代続いている天皇制は、文化的象徴として長く存続させていくべきだ。

もっとも問題なのが、第二六条だ。

一項で「信教の自由は、何人に対しても、これを保障する」としながら、二項では「いかなる宗教団体も、政治に介入し、または政治上の権力を行使してはならない。」としている。つまり、「信仰を持つ人々は政治に介入してはいけない」ということだ。これは宗教差別どころか、宗教弾圧そのものではないか。教員団体の日教組や、医者でつくる医師会など、企業などを含め、さまざまな団体が政治にかかわる中で、宗教だけを排除できる正当性はない。

これは多くの人々が現行憲法の「政教分離」に抱く誤解と同じように、正しい「政教分離」の意味を理解していないことが原因だろう。正しい政教分離の趣旨は「宗教が政治をしてはいけない」のではなく、「国が宗教に介入してはいけない」という意味であり、過去に国家神道の下で、他の宗教が圧迫された歴史があるため、そうしたことを防ごうというものである。

そもそも憲法というものは、国民ではなく、国家機関の行動を制限するものである。さらに言えば、宗教を縛ることは、言論・出版、集会、表現などさまざまな自由の根源となる「内心の自由」を縛ることであり、結局は、国家による統制や弾圧を許すことにつながる。逆に言えば、宗教こそが、あらゆる人びとの自由を守るのである。

同紙は、左翼的な論調が幅を利かせてきた日本のマスコミの中で、愛国心の大切さや国防強化の必要性を訴えるなど、大衆迎合せずに気概を持った論調を貫く姿勢は共感できるところが多い。目に見えない世界への理解をもう一段深め、真の民主主義や国民の幸福の実現に寄与してもらいたい。(格)

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