「事実確認は可能な範囲でしたつもりだが、いじめた側にも人権があり、教育的配慮が必要と考えた。『自殺の練習』を問いただせば、当事者の生徒や保護者に『いじめを疑っているのか』と不信感を抱かれるかもしれない、との判断もあった」

これが、昨年10月に学校での過酷ないじめを苦に中学2年生の男子が自殺したとされる事件に対する、今月5日の滋賀県大津市の教育委員会の弁明である。

今回、事件直後に全校生徒を対象に行われたアンケート調査の回答の中に「被害生徒が自殺の練習をさせられていた」と書いていた生徒が16名いたにもかかわらず、公表されていなかったことが明らかになった。また、学校が生徒たちに「口止め」をしていたという声も出てきている。

さらに、自殺した男子生徒の父親が、大津警察署に「息子が同級生から暴行を受けていた」と被害届を提出しようとしたところ、「被害者が死亡している場合、殺人などでなければ犯罪として事実認定できない」と、3回にわたって受理を拒否されたことも明らかになった。

学校や教委にとっては、自殺に追い込まれた被害生徒の人権より、加害者側の人権や加害者の親との信頼関係の方がよっぽど大切なのか?

彼ら大人が「いじめる側にも人権」があるなどと言っているから、いじめがなくならないのだ。「いじめは犯罪である」という毅然とした大人の態度がなければ、子供たちはいじめを続ける。今のいじめは陰湿で過激だ。教師が見て見ぬふりをすれば、悪いことだと思わずに遊び感覚で多数が一人をいじめてエスカレートする。いじめられる子にとっては「地獄」そのものだ。

大川隆法・幸福の科学グループ創始者兼総裁は、いじめに関してこのように語っている。

「日教組系によく見られる戦後民主主義の非常に弱い部分、つまり、責任逃れをする民主主義、問題解決をせず、『なあなあ』で仲良くさせ、話し合い路線で片づけようとするような民主主義が、いじめを増殖させています。要するに、『民主的に話し合って解決しなさい』と言うのは、逃げなのです」

「やはり、仏神、仏や神のことから始めて、あの世とこの世があること、人間の正しい生き方、そして、『死後に天国も地獄もあるのだ』ということ、ここをきちんと教えないと、いじめ対策はできません。根本的には、ここなのです」

戦後、日本の教育現場から「宗教」が排除され、教師たちは唯物論思想に染まって、まともな「善悪の判断」ができなくなっている。また、自ら犯した悪も、「バレなければ大丈夫」とばかりに隠蔽し、責任回避することが当たり前の感覚になっているのは恐ろしい。

他人が見ていなくとも「神様はすべてご存じである」という真理を教えることが、いじめをなくす一番の近道だ。子供を教育する前に、大人たる教育者を「教育」し直さねばならない。〈宮〉

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2012年2月7日付本欄 「いじめ」増加に転換 公教育に必要な宗教的真理

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2012年3月号記事 【第3回】いじめは必ず解決できる! いじめはどんな理由があっても、いじめる側が悪い

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