東日本大震災の被災者が「お化けや幽霊が見える」という悩みを多く抱えていると、18日付産経新聞が報じている。

「仮設住宅に何かがいる」「水たまりに目玉がたくさん見えた」「海を人が歩いていた」「遺体の見つかっていない遺族が枕元に現れ、見つけてくれ、埋葬してくれと言ってきた」など、被災者の悩み相談が絶えないという。

このような「悩み」に対して、キリスト教や仏教などが教派を超えて相談窓口を設けている。ある住職のコメントとして「幽霊について悩むことは、亡くした家族のことから少し離れて生と死を考えるきっかけにもなる。そこから生の世界で前に進む姿勢を示せるようになることにつながればいい」という話を載せている。

このコメント一つ読めば、はっきり言って「伝統仏教は、もはや霊について何も語れない」というのが分かる。

本誌昨年11月号「誤解だらけの慰霊・鎮魂」で伝統仏教各宗派に「死後の世界」についてアンケートを取ったところ、高野山真言宗以外はすべて「ノ―コメント」だった。正直な回答者は「まだ宗派としての共通認識ができてないので」と言っていた。

そのような伝統仏教に幽霊の悩みを相談しても、供養も形だけ、法話も意味不明で、何の足しにもなるまい。

幸福の科学の霊的世界観を知れば、天変地異などで大量の人が亡くなった場合、自らが死んだことも分からない人、分かっても地上に未練がある人、遺族を頼ってきている人など、大半がまだ地上で「地縛霊」や「浮遊霊」となってさまよっているのだと分かる。

これらの霊となった人々をどう救済するか。その方法も幸福の科学にはしっかりとある。だが、幸福の科学がいくら伝道を続けても、「宗教の偏見」の壁に阻まれてシャットアウトする人が余りに多い。マスコミも同じく、伝統宗教については取り上げるが、新宗教については何か事件がない限り、ほとんど報道しない。

今ほど「ほんものの宗教」が求められている時代はない。マスコミは人々の真のニーズをつかみ、その答えを持っている宗教に真剣に取材すべきだ。このような霊を扱った記事を掲載するのは一歩前進だが、いつまでも化石のような伝統宗教ばかりに頼っていては、マスコミ自体が時代の流れに取り残されていくだろう。(仁)

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2011年11月号記事 誤解だらけの慰霊・鎮魂(1) ――震災犠牲者の霊は今どうなっているのか?

http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=2936