2012年1月号記事

やっぱりコワい? それとも――

新宗教15の疑問

マスコミ、ネットではわからない「幸福の科学」

仏像やお経など仏教ブーム、パワースポットなどスピリチュアルブームといった、「宗教的なもの」への関心は日々高まっている。また「宗教を知らなければ世界情勢は分からない」ということで、宗教関係の本や雑誌が売れている。世界中に信者が広がり続けている「幸福の科学」に対する関心も強い。

しかし一方で、「新宗教は、なんとなくコワい」というイメージがあり、敬遠する人も多いようだ。そこで、本誌は「新宗教と幸福の科学のイメージ調査」を実施。そこから浮かび上がった疑問、ネット上で飛び交う疑問に対して、さまざまに検証してみた。ここに、マスコミやネットでは絶対に分からない「幸福の科学の素顔」がある。

(編集部 小林仁先、田中司、赤井宏二、只木友祐)

日本人の新宗教のイメージは

まず、グラフ(1)を見ていただきたい。本誌10月号でも紹介したが、日本人の約7割が「無宗教」と答えている。これは無神論の国・中国よりも多いという結果だ。

なぜ日本人に「無宗教」が多いのか。その理由はいくつか考えられる。

まず、日本人は「宗教を信じる」ということを、「特定の宗教団体に所属すること」だと受け取っている。実際にはほとんどの家が仏教の壇家か神道の氏子になっているはずだが、これは葬式や法事の際にお世話になるくらいで、ほとんど意識していない。

つまり伝統仏教や神道については「習俗」のようなもので、「宗教」という意識はあまり持っていない。「あなたの宗教は?」と問われたときに思い浮かべるのは、おもに「新宗教」(新興宗教)といわれる新しい宗教のようだ。

しかし、「新宗教」のイメージは、あまり良くない。グラフ(2)にあるように、「信仰は良いこと」と言う人が多い反面、「なんとなくコワい」「信者を洗脳する」「お金もうけ」などのマイナスイメージもかなり強い。

※ 2011年10月から11月、日本各地の街頭や個別訪問等でアンケートを求め、335人から回答を得た。複数回答(グラフ3と4も同じ)

この理由として、一番大きいのは、オウム真理教が1995年に「地下鉄サリン事件」を起こし、13人が死亡、数千人を負傷させたことだろう。この事件が日本人全体に「宗教は恐ろしい」というイメージを植え付けたようだ。事実、オウム事件後、「宗教を信じる」と答える人は激減した(※一方で、最近の大学生の調査では、逆に「宗教に興味がある」が半数を超えている)。

これ以外にも、統一協会、創価学会などが、強引な勧誘や折伏などで、新宗教の悪しきイメージをつくったことが大きい。

同時期に、まったく新しい風を吹き込んだのが「幸福の科学」だった。一時はマスコミも「エリート宗教」とか「宗教らしくない宗教」などと言ってその驚異の発展ぶりを報じたが、1991年、一気に教団が拡大すると一転して攻撃に転じ、幸福の科学バッシングを始めた。

では、あれから十数年、「幸福の科学」の一般的なイメージはどうなっているのだろうか?

グラフ(3)にあるように、「本がいっぱい出ている」「いいことを言っている」などが上位に来たが、「お金を持っている」「信者を洗脳する」と答えた人も多い。また、さまざまなコメントが寄せられているが、マイナスイメージはいまだに強いようだ。

だが、これらの「イメージ」の正体はどうなのか。日本人全体で「無宗教」と言う人が多く、「宗教はコワい」と敬遠するのは、世界標準から見てどうなのか。そして「幸福の科学のイメージ」は本当に正しいのか。それが「つくられたイメージ」で、いつの間にかそう思っているだけで、最も大事なものを見落としているのだとしたら、日本人にとっても大きな損失だ。

そこで、この「イメージ」の正体をさぐってみたい。

(4)「幸福の科学」のイメージは?(記述回答・主なもの)

間違ったことはやってないと思う。(20代男)/ 何かいろいろやってるなあ。(20代女) / キセキを起こす。(30代女) /ラジオでたまに拝聴するのはためになったりします。(40代女)/ 新進気鋭な感じ。(46歳男) /あまり分からないが、スゴイと思う。/ 本を読むと、いろいろとためになることが書かれていて参考になります。 /宗教にしてはおだやか。焦点がぼけている。ふつうはもっと熱い。良くも悪くも。(70歳女)/ 大川さんの名前と顔は新聞でよく見る。 /信じられたらそれでいい。/ 変。政党持って、おかしい。 /政治的イメージ。/ この宗教はこの宗教でいいと思う。 /世の中をよく知らない人たちの集まり。主張に青臭さを時々感じる。(46歳男)/ それぞれの思うことで、悪くないと思う。 /ちょっとこわい。世間を騒がしそう。オウムと重なる。(46歳男)/ 建物を見て何かあると知っている。 /イメージは世間的にあまり良くない。なんとなくオウムのイメージがぬぐいきれない。信者さんはまじめ、一生懸命やってる。/ まともだが深みを感じないので、信用できない。(70歳女) /宗教のイメージが悪いので、幸福の科学もイメージ悪い。(30代女)/ とにかく勧誘が強引。(30代女) /たくさん本を渡されて困る。(30代男)/ 科学とつくのが斬新。(30代女) /幸福の科学の言っていることは、むずかしい。/ エリート集団。 /会員に明るい方が多い。/ 良いことをしてそうだ。 /教養がある人が多い。/ 分からない。悪くはないけど半信半疑。 /何をやっているか分からない。/ 宣伝がすごい。 /小川知子さんのイメージ。/ 主張が過激でかなりムリがある。 /選挙での主張は保守的。(20代男)/ エリートやお金持ちの信者の人が多そう。(30代男) /支部の建物が立派。(30代男)/ 宗教・政党・学校といろいろ展開しているが、いずれも一般には内容が良く分からず、内部だけで熱心にやっている感じ。 /熱心に頑張られていると思います。

Q.なぜ新宗教はこれほどイメージが悪いのか?
A.マスコミ・教育・ネットが偏見を広げている

人の心は、直接知らない物事について、いいものか悪いものか見当をつけるとき、「イメージ」(目で見た印象の記憶)と「情報」に頼る。でも、そのイメージや情報が偏っていたら?

マスコミが広げる「宗教イコール悪」のイメージ

私たちが物事について抱くイメージに大きく影響しているのは、まずテレビだ。

日本では、テレビで宗教のありのままのイメージに触れる機会がない。ほとんどの局が示し合わせたように、「布教につながる内容は駄目」といった理由で、宗教の中身にかかわるものは一切、放送しないからだ。

もし、宗教を一切扱わないなら、それはそれで一貫性はある。ところが テレビは「宗教」(新宗教)について、ことさら悪いイメージを流すことが多い。

この秋の人気ドラマに、こんなシーンがあった。自己啓発セミナー教室の奥の秘密の部屋に女性諜報員が忍び込むと、薄暗い中で、白装束を着て教祖の言葉に操られ、体をくねらせて祈る人々が。セミナーの実態はおぞましいカルト教団――。明らかにオウムのイメージをなぞっている。本誌20ページ(webでは当記事前半)のアンケートの「コワい」「洗脳」というステレオタイプそのものだ。

また、「宗教法人」と名が付く団体が事件を起こしたニュースは誰でも見たことがあるだろう。ところが、 宗教団体が災害の救援や慈善活動をしても、「特定の団体の宣伝になる」という理由で報道されない。 現実にそうした活動をしている宗教団体は多いのに、 宗教(新宗教)に関しては悪人の顔だけを映し、普通の人や、いい人の顔は映さないのがテレビの世界だ。

ちなみに幸福の科学は、12月の大川隆法総裁講演会(エル・カンターレ祭。全国で同時衛星中継)のテレビCMを各地のローカル局で打とうとしたが、一部の局でしか放映されず、「布教につながるおそれがある」「個人の売名行為にあたる」などと否定的な局が多かった。聖なる宗教活動と売名行為の区別さえつかないメディアもあるのだ。

交通広告や某大手ポータルサイト広告でも、先方が「布教にあたる」と判断した言葉やイメージは掲載を認められない(新聞はこの点、一定の理解を示す社が多い)。

「宗教は尊い」が世界標準

それに比べて、海外のテレビはどうか。

今年3月、大川総裁がネパールで開いた大講演会は、国営放送と民放がテレビで生中継した。4万人以上が集まった3月のインド講演(上写真)もテレビ生中継され、5月のフィリピン講演もテレビ4社が報道。1万3千人が集まった11月6日のスリランカ講演はテレビ3局でノーカット放映された(本誌9ページ参照)。どの国でも、大川総裁の講演会に信者以外も大勢集まったという客観的事実と、総裁の姿、語る言葉が、ありのままのイメージでオンエアされた。

アメリカなどキリスト教国には、牧師が出る宗教テレビ番組がたくさんあるし、イスラム国でも宗教番組は当たり前(本誌5月号参照)。 一定の支持を集めている宗教なら、古くても新しくてもテレビで客観的に取り上げるのが世界標準である。

もちろん、宗教番組を観るか観ないか、観てどう思うかは一人ひとりの自由だが、 海外では根本に「宗教は神仏の教えを伝える尊いもの」という宗教への尊敬がある。こうした世界標準のイメージに関して日本人は目隠し状態だ。

「宗教=カルト」という間違った情報の刷り込み

2011 年3月6日、インド・ブッダガヤにおける大川隆法総裁の説法には4 万人を超える人が集まり、70人近い報道陣が取材。テレビで生中継もされた。

宗教のイメージが悪い理由として、学校などによる「ネガティブ情報の刷り込み」もある。

国立大学1年生の女性(大阪府在住)は今年5月の入学早々、「宗教は危ないから気をつけるように」という主旨の1時間半のガイダンスを1年生全員が必須で受けさせられ、感想を書かされた。彼女は腹立たしそうに言う。

「宗教は全部カルト(思考停止の狂信的集団)だと学生に植え付けるような感じでした。正しい宗教もあるというフォローは一切なくて 、宗教を馬鹿にしている、おろそかにしていると思いました」

ガイダンスの数日後、彼女は友人と学食にいた。誰かが知らない人から話しかけられている光景を目にした友人は、「宗教の勧誘じゃない?」と気味悪そうに言ったという。

同学3年生で、入学直後に同じガイダンスを受けた植村広生さん(大阪府在住)は言う。

「高校のときは、クラス全員を幸福の科学の映画に誘ったら結構みんな行ってくれたのに、ガイダンスの後でクラス全員を幸福の科学の講演会に誘ったら、全員に断られました」

植村さんは特に、ガイダンスの中に出てきた、「『幸せになる』という言葉で勧誘する団体もある」という、まるでそれがよくないことであるかのような説明の仕方に疑問を覚えたという。「幸せ」という言葉にまで悪いイメージが刷り込まれれば、宗教の目的そのものが悪いということになってしまう。

「人権中の人権」がない

日本の大学の多くはキャンパス内での布教活動を禁じているが、これは世界標準から見てどうなのか。米カリフォルニア大学を卒業した和田由輝さん(25歳・団体職員)は言う。

「アメリカの大学では、いろんなキリスト教宗派やユダヤ教などの学生サークルが、キャンパスで宗教イベントなどのチラシを配るのは普通のことです。具体的に人に迷惑をかければ注意されますが、そうでない限り、 学生の布教活動を止めようとしたら、大学側にそんな権利はないという話になるでしょう

欧米では信教の自由は、歴史的に「人権中の人権」として尊重されてきた。慶応義塾大学の小林節教授は、「少なくとも成人を対象とする専門課程では、学生は完全な人権の主体なので、 布教を禁ずることは、公的助成を受けた学校権力による人権侵害になるでしょう 」と話す。日本の多くの大学は、人間にとっていちばん大切な自由を奪われた空間と化しているのだ。

もちろん、宗教を騙る一部の団体から学生を守りたい大学側の気持ちは分かる。だが、 「宗教は一律ダメ」という乱暴なやり方は、学生たちの純粋な心に「宗教は全部悪い」という誤ったネガティブ情報を刻印している。

ネット上の「アンチ宗教」バイアス(偏り)

現代人にとってインターネットは、いちばん身近な情報収集ツール。 ネットで気をつけたいのは、匿名の情報の場合、信頼性に欠けるケースが多いことだ。

たとえばネット上の匿名相談ページに、「○○という宗教団体の教えに興味があるのですが、入信しても大丈夫でしょうか」といった質問が出ることがある。たいてい、「やめとけ。カルトだ」「洗脳されるぞ」など、強い調子で否定する書き込みが多く、そっちのほうが説得力があるように感じてしまう。

しかし、どこの誰か分からない匿名の回答者が、「宗教の尊さ」という世界標準について知識も経験もなく、単にオウムなどの反社会的集団のイメージをもとに宗教を語っているのなら、その回答は大いにバイアス(偏り)がかかったものだろう。

現代の日本人は、マスメディアや教育を通して宗教の尊さに目隠しをされ、宗教の悪さを刷り込まれている人が圧倒的に多い。その結果、「アンチ宗教、イコール正義」であるかのような"ネット世論"さえ一部に存在する。

だが、たとえば米国の場合、CNNのサイトや、アクセス数でニューヨークタイムズを抜いた新進のハフィントンポストには、常設の宗教ページがあり、これらがネット上の宗教論議のバランスを保っている面がある。一方、日本の大手ニュースサイトには常設の宗教ページがなく、ネット上に宗教に関する公平な議論の土壌があるとは言えない。

アンチ宗教の声が強い日本語インターネットはグローバルに見た場合、特殊な空間である ことを知っておきたい。

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以上をまとめると、 宗教は今の日本では、悪いイメージやネガティブ情報の刷り込み、匿名の偏見などにより、不当に「差別」されている と言えそうだ。この国には、世界の文明国の一つとして当たり前の信教の自由があるのか、疑わしいほどである。

日本人の多くは「宗教」と聞いた瞬間、実際はよく知らないにもかかわらず、理屈抜きの気持ち悪さや恐さを覚えるに違いない。その条件反射的な反応こそが、自分以外の価値観によって「先入観」や「偏見」を植え付けられている証拠ではないだろうか。