編集長からの手紙「ねじれていようが何だろうが独裁よりはまし」 - 幸福の科学出版 ザ・リバティ(The Liberty)

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編集長からの手紙


ねじれていようが何だろうが独裁よりはまし

 いつもご愛読賜り、誠にありがとうございます。最新号をお届けいたします。
 ミャンマーのサイクロン、中国・四川省の大地震と数万人規模の犠牲者が出る天変地異が相次ぎました。現地はまさに酸鼻を極める惨状になっています。両被災地とも災害発生から時間が経つごとに感染症や飢餓も心配され始めており、気が抜けません。
 今回の二つの被災地には共通項があります。それは、ミャンマーでは昨年九月、四川省では今年三月に、民衆の苦しい胸のうちの代弁者として仏教僧侶がデモを行ったこと。そして、どちらも独裁政権によってそのデモが流血の事態となり鎮圧されたということです。そんな地域が立て続けに天災に見舞われるというのは、果たして偶然なのでしょうか? まるで、何かのメカニズムが働いているかのようです。
 そんな印象を持つのは私だけではないようで、先日、あるテレビ局の報道番組の生中継に立ち会っていたら、司会のジャーナリストの方が「中国で雪害やギョーザ事件、チベット、地震と騒ぎが続いているが、ちょっと偶然とは思えない」と話していました。このジャーナリストは、きわめて現実的なテーマを扱っている人で、目に見えない世界はいっさい信じられないというタイプの人なのですが、そんな人ですら「偶然とは思えない」というのです。今回の災害のインパクトがいかに強いかを示すエピソードと言えるでしょう。
 ミャンマーの災害は別の面でも怖いものを見せてくれました。それは政治です。同国の軍事政権は海外からの人的支援を拒否し、支援物資は梱包されたまま放置されたり、軍に接収されているようです。国民のことをなんとも思わないこの軍事政権を見て、改めて民主主義の良さを痛感しました。たとえ、ねじれていようが何だろうが、独裁制でないだけましです。民主主義であれば、票を持つ国民を邪見に扱えませんから。
 ただ、その民主主義も、国民の側がしっかりと関心を持ち、多くの知識・情報と正しい判断がなければ健全に機能しません。総合誌として、正しい情報と考え方を読者の皆様に常に提供していかねばと、その使命の重さを痛感している次第です。

『ザ・リバティ』編集長 里村英一

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