東京都知事選に立候補している幸福実現党青年局長のトクマ候補。石原慎太郎前都知事も果たせなかった、尖閣上陸を果たし、街頭でもミュージシャンならではの演説で聴衆の心をつかんでいる。そんなトクマ候補が、実は政界のサラブレッドであることが、本誌の調べで明らかになった。

まず、父方の曾祖父の砂田重政氏は、弁護士で、1920年に衆議員に初当選。27年の田中義一内閣で農林参与官、31年の犬養毅内閣で農林政務次官に就任した。第二次大戦中は、約3年シンガポールに赴任し、「マレーの虎」の異名をとる山下奉文大将とも懇意にしていた。

砂田氏は戦後、55年の第二次鳩山一郎内閣で防衛庁長官(現・防衛相)として初入閣。当時の自由党と民主党の保守合同後の自由民主党で総務会長も務めた人物。戦没者慰霊祭に横やりを入れようとしたマッカーサー司令部に怒鳴り込んで反論し、6000人を超える参列者があった終戦後初の慰霊祭を主導した(参考:日経新聞「私の履歴書」)。また、その息子の砂田重民氏も、文部大臣、自民党総務局長などを務めた政治家である。

次に、父方の祖父の椙杜(すぎのもり)正太郎氏は、終戦時に内閣事務官を務め、その後、通商産業省(現・経済産業省)で商工事務官などの要職を務めた。「アラビア石油の現状と問題点」「海外石油開発の現状と問題点」などの論文や著作を発表しており、エネルギー問題に造詣が深い人物である。

また、母方の祖父の吉田彦太郎氏は、「やまと新聞」(現・東京スポーツ)の社長で、第二次大戦中に、政府が進めた言論統制のための新聞社の統廃合も拒否して、独自の言論活動を貫いた。吉田氏は、戦後の政財界を動かす大物右翼の金庫番でもあったという。ちなみに、この大物右翼は、自由党と民主党の保守合同を実現させたり、読売新聞など戦後間もない当時のさまざまな保守系団体に資金を融通したと言われている。

現在、トクマ候補は都知事選で、「自虐史観教育を撤廃し、愛国心を持とう」「パトリオット・ミサイルによる首都・東京の防衛体制を強化」「安く安定的な電力を確保するための早期の原発再稼働」などを訴えている。

こうした健全な歴史認識、国防議論、エネルギー政策は、本人が意識しているか否かにかかわらず、いずれもトクマ氏の先祖が残してきた遺産を、未来に生かそうという意味が込められているという見方もできる。(格)

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本サイト内 尖閣に上陸した大和魂ロッカー - トクマ 特設ページ

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トクマ公式サイト

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