9世紀の高名なイスラム学者アフマド・イブン・ハンバルは、生涯に一度もスイカを口にしなかったという。その理由の見当がつくだろうか?

答えは、「預言者ムハンマドがスイカを食べた記録がないから」。こうした学者の影響により、コーランに備わっていた自由な思想が失われたとする本の書評が、17日付英紙フィナンシャル・タイムズに出ている。興味深い内容なので2回に分けて紹介。

その本は、トルコの若手作家Mustafa Akyolが書いた『 Islam Without Extremes』(極端なきイスラム)だ。以下、同書評から。

  • イスラム嫌いの多くの欧米人には「イスラム自由主義」(Islamic liberalism)という言葉は矛盾に聞こえるだろう。だが本書を読むと、そんなことはないと分かる。
  • 著者によれば、コーランの内容は多元主義的原則(pluralist principles)に基づいていた。だが後世、そのダイナミックで普遍的な理性の部分が、変化を嫌うローカルな伝統の力に負けてしまった。
  • コーランには自由(freedom)の考えがいろいろ入っていた。生存権、財産権、プライバシー権、移動の自由、正義、個人の尊厳、法の下の平等(rights to life, property, privacy, movement, justice, personal dignity and equality before the law)などである。その後の典拠となったイスラム文献は、義務にばかり焦点を当てた。
  • シャリーア(イスラムの法体系)は本来、統治者から被統治者を保護するためのものだった。同書によれば石打ちの刑(stoning)はコーランには根拠がなく、多分ユダヤ教に由来している。女性がベールで顔を隠し、家に閉じこもって過ごすのも、ペルシャや東ローマ帝国(キリスト教)から来た風習であるのはほぼ間違いない。
  • 8世紀から13世紀の間に、理性派が伝統派との思想戦に負けたため、イスラムは「神中心の個人的信仰(personal, theocentric religion)」から「神政」(theocratic)に変質してしまった。

同書の内容が本当なら、ムハンマドが伝えた神の教えはもっと自由で寛容だったのに、後世の人間がねじ曲げてしまったことになる。確かに、そもそも自由や寛容さがなければ広がるはずがない。(18日の後編に続く。司)

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2011年10月号記事 ひと目でわかる4つの宗教─200号記念総力特集「宗教」
※イスラム教は2ページ目

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2011年11月18日付本欄 イスラムは本来、もっと自由な教えだった(後編)

http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=3512